筆者は来月から大学院に進学することが決定しているが、大学院進学を選んだ理由と今感じるメリット、デメリットについて解説していく。
大学院進学を選んだ理由
筆者が大学院進学を選んだ理由は以下の通りだ。
- 就職の選択肢を増やすため
- 年収のため
- 専門性を身に着けるため
嘘偽りなくこれらが理由のすべてである。
学部卒より修士卒の方が大事にされる
学部卒だとどうしても専門性に欠ける。
もちろん学部卒でも専門的な知識が求められるところに就職できる人もいるが、割合は圧倒的に低いし、修士卒と比較してもどちらが確実で、効率的か明らかだ。
加えて、『専門的な知識がある』ということは、『替えが利かない』ということでもある。
そうなると、辞めさせまいと大事にされるし、待遇も良くなる。(先輩談)
例えば、バイトなど『誰でもできること』は簡単に替えが利くから、そこまで大事にされないし、辞められても適当な人材で埋めることができる。
ポイントは『自分にしかできない専門性』で『替えが利かない』という点だ。
それを修士進学することで高めることができる。
たった2年研究室に監禁されるだけで、のちの人生設計を組み立てやすくなると思う。
修士の学費は就職後2年で元を取れる
これは進学する大学院と就職先にもよると思うが、筆者の進学する大学院では統計的に就職後2年で修士進学費用のもとは取れる。
修士の進学を金銭的な理由で断念するのは馬鹿としか言いようがない。(所説あり)
専門性を身に付ける
筆者が工学系なのだが、これはいくら突き詰めていっても、専門性が頭打ちしない。
プログラミング言語は数多あるし、ひとつの言語だけを極めるのにも1年はかかると思う。
今できる言語としては、
- python
- java
- c
- c++
- C#
が挙げられるが、どれも専門的なまでの能力があるかと言われれば全然そんなことはない。
これらの言語能力も2年で研究を通して高められるし、筋道立てて目的に向かうための思考能力も鍛えられる。
『金がなくても幸せならいい』は貧乏人の自己肯定
言葉が悪いが、『お金がなくても幸せ』とかは、貧乏人が自分の生活を肯定するための言葉だと思っている。
もちろん、本音からそういう人もいるだろう。
だけど『お金がなくても幸せ』なら、『お金があっても幸せ』でもいいんじゃないだろうか?
あくまで『お金がないから幸せ』ではない以上、お金はあったほうがいい。
『幸』という漢字は『¥』を含んでいる。『幸』の下部分だ。
これは幸せがお金を含んでいるという暗喩だ。
大学院進学の対価
大学院進学の対価は夢を見れれないことだ。
筆者のランニングコミュニティ周囲では、プロ山岳ランナーになったり、世間一般で言ういわゆる『普通』から逸脱している人が多い。
もちろん大学院に進学したところで、プロ山岳ランナーを目指してもいいだろうが、もったいないし、それなら最初から学部卒を選んでおけという話になる。
まとめ【大学院進学を選んだ・するべき理由】
今回はかなり言葉選びが悪い。
不快になられた方がいたら申し訳ないが、人の考え方はそれぞれだし、あなたの考えもあなたのものだ。なので筆者に意見を押し付けないでほしい。めんどくさいし。
筆者も他の記事やSNSで考えを発信している人を見るが、ただ傍観しているだけで、コメントなどを残す人は『自分が正しい』と思っているバカばかりで嘲笑している。今回はその立場が逆転しただけだ。
筆者はこういう考えを他人には押し付けていないし、ただ述べているだけだ。